自然 |
![]() |
自然, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=8858 / CC BY SA 3.0
#自然 #和製漢語 自然(しぜん、希: φύσις 羅: natura 英: nature)について解説する。 自然には次のような意味がある。 人為が加わっていない、ありのままの状態、現象。 対義語=人工 1の意味より、山、海など。 人工物の少ない環境。 自然環境。 # 1の意味より、人間を除く自然物および生物全般。 # 1の意味より、ヒトも含めた天地・宇宙の万物。 人災に対置した天災、あるいは人工造成物に対置した天然造成物を考えた場合の、それらを引き起こす主体。 意識(意図)しない行動。 不思議さ、不可解さを含むと思われる可能性がない事。 自然の観方、位置づけのしかた、意味の見出し方などのことを自然観と言う。 例えば「自然は人間文化と対峙するという見方」「自然のなかに文化的模範を見つけるべきとする見方」「自然と人造物が一体となるのが文化的景観とする見方」等々が自然観である。 古代ギリシアでは「φύσις ピュシス(自然)」は世界の根源とされ、絶対的な存在として把握された。 対立概念にノモス(法や社会制度)があり、ノモスはピュシスのような絶対的な存在ではなく、相対的な存在であり、人為的なものであるがゆえ、変更可能であると考えられた。 フェリクス・ハイニマンは、古代ギリシア人の思考方法の特徴のひとつにこのような対立的な思考(アンチテーゼ)がある、とし、このピュシス/ノモスの対立を根本的なものとした。 またこの対立はパルメニデスのドクサ(臆見)とアレーテイア(真理)の対立の変形としてエレア派が行ったともいわれる。 古代ギリシア語における「φύσις ピュシス」の意味は「生じる」「成長する」といった意味をもっていた。 またソフォクレスやエウリピデスの語法では「誕生」「素性」あるいは「天性」という意味がある。 エウリピデスの語法には「たとい奴隷の子であれ、ピュシスに関して勇敢で正しいものの方が、むなしい評判(ドクサスマ)だけのものより高貴な生まれのものだ」(『縛られたメラニッペ』断片495,41)などがある。 このような古代ギリシアにおける自然・文化・社会との分割が、のちのローマやヨーロッパの思想史のなかでの議論の基盤のひとつとなった。 紀元前4世紀、アリストテレスは、自著『形而上学』において、神学と形而上学を「第一哲学」と位置づけ、自然哲学を「第二哲学」と呼んだ。 というのは、自然哲学が、対象としている形相の説明も行っているからであるという。 ここにおける「philosophia physiceフィロソフィア・ピュシス」という表現が、古代ギリシャ語文献の中に「自然哲学」という表現が現れた最初のものであるという。 スコラ哲学の時代においては一般に、「神は二つの書物をお書きになった」、「神は、聖書という書物と、自然という書物をお書きになった」と考えられていた。 聖書を読むことで神の意図を知ることができるとされていた。 また、ちょうど時計というものをじっくり観察すればその時計を作った時計職人の意図を推し量ることも可能なことがあるように、「神がお書きになったもうひとつの書物である自然」を読むことも神の意図や目論見を知る上で大切だ、と考えられた。 神はそれぞれの書物を異なった言語でお書きになったと、考えられており、神は人間が話す言葉で聖書を書き、数的な言葉で自然を書いた、と考えられた。 ガリレオ・ガリレイも次のように述べた。 英語で法則のことを「law」と言うが、これはlay(置く、整える)の過去分詞と謂れている。 それは神によって置かれたもの、整えられたこと、という意味である。 独語ではさらにわかりやすく、「Gesetz」と言い、「setzenされたもの(英語で言えば、"setされたもの")」と表現する。つまり、神によってセットされたものが法則、と見なされているのである。 リベラルアーツの7科は、3科と4科に区分されているが、3科は具体的には文法・修辞学・弁証法であり、上記の「二つの書物」のうち「人間の言葉で書かれたほうの書物」(=聖書)をよりよく理解するためのものと位置づけられ、4科の算術・幾何・天文・音楽については、現代人が理解するには少しばかり解説が必要だが、当時は天文も音楽も数学的なものであったのであり、つまり、4科は「数の言葉で書かれたほうの書物」(=自然)をよりよく理解するためのもの、という位置づけであった。 ジャン=ジャック・ルソー ヨーロッパ諸語では、自然は本性(ほんせい)と同じ単語を用い「その存在に固有の性質」をあらわす(例えば、英語・... |